mahoutukaikunのブログ

対話、コミュニケーション、思考について研究中のみかんです。研究のきっかけとなったカルマの法則やカルマタロットの紹介もさせていただいています。 何気ないある日だったり、感じたことだったりを、気ままに更新できたらと思っています。 日常の呟きの中で、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

インナーマッスル?

(自称)プロ野球の関係者の方から
プロの世界で活躍できるほどの逸材は、歩いている姿から、もう全然違う。とお伺いしたことがあります。

立ち姿だけでもある程度判断がつくらしいのですが、歩いている姿を重要視するのは、動きだし?動き?にこそ、才能や能力が自然とでているから。なのだそうです。

『上手いや下手や、誰が見てもわかるようなところは、後付けや。』と。

ちなみに、何もわかってもないのに、どのあたりをどう見るのですか?と失礼を承知で聞いてみたものの、『いや、こうね、、何て言うかな、、動くときにね、、。うーん、、何て言ったらいいのかなー、、』
と、嫌な顔もせずに、説明しづらい極意的なものを説明していただいたのですが、その言葉を何回か自分の中で繰り返し自己分析した結果、
「足の運びが独特で、歩いているのにすぐには歩いていることに気づかない。歩きはじめたことに数歩目で気づく。浮いたような動き?つまり、周りと完全に調和している。」
のようなことかな?と思ったりしています。

注 調和とは周りと一体化していて、違和感なく人も景色のように認識される(風や空気のような存在)とお考えいただけたらと思います。

極意を言葉で表現するのは、とても難しいですが、
普通に見えているのに、通常周りからは分からない、気づかれない部分に、その道の専門家?の、判断材料がある。というのは、非常に興味深く、今でもよくこのフレーズを思い出します。


見ているつもりで、見えてないもの。
聞いているつもりで、聞こえてないもの。
そのような本質を見抜く能力は、
プロの素質を見抜く眼力同様、欲しくてもなかなか手に入るものではないと思います。
だからこそ、レアで価値が高いのでしょう、、。



つまり、何が言いたいのかというと、、
欲しくても、なかなか手にいれることが難しい能力の
擬似体験的なものが気軽にできるツール。

それが、カルマタロットだと知っていただけたらと思い、書いてみました。

ご興味を持っていただけたら嬉しいです。

最悪よ。好きになってしまったわ。

数日前、雑誌でパリジェンヌ特集をしていたので、なんとなく頁をパラパラめくっていて目に留まった記事があります。

フランス映画のワンシーンを扱っているのですが、
↓↓

自立した大人の女性である主人公が、
自由をこよなく愛し、純粋でいて繊細。独特の感性が魅力でもある芸術家の男性と偶然に知り合い、何度か会ううちに、

「最悪よ。あなたを好きになってしまったわ。」
と、その男性にポツリと話す。

というようなシーンが書かれていました。


さすがアッモ-レの国?!
この冒頭のセリフ、正直でいじらしくて、その上、かっこよくもあり、とても気に入ってしまいました。



「好きになってしまったわ。」の前に付く、
「最悪よ。」には、

大人の女性ゆえの内的な葛藤があったのかも。と、勝手に想像してしまいますが、、
(私の常識なんて通用しないかもしれないし、振り回されるかもしれないし、いつフラッと居なくなるかもしれないし、独特の世界があるし、何考えてるかよくわからないし、、、
みたいなものでしょうか。)


それを含みつつも、、
男性の才能も、弱点も、すべてを素直に受け入れつつ、大胆な告白はしていながらも、相手に何も望んでいない、答えを求めていないところが、なんともすてきです。



ただ、同じ葛藤があったとしても、
もしも、この主人公の女性の言葉が、

「あなたを好きになるのが怖いの。」
や、
「好きだと言ったらあなたはどうする?」

などだった場合は、

私が男性の立場ならば、、

特にその女性のことを嫌いではなくても、なんとかしなくてはいけない気になり、居心地も悪く、答えにくい質問でもあることから、次に会うことへのハードルが高くなってしまう可能性も考えられます。



つまり、、
男性でも、女性でも、
仲良くやっていたはず、相手も楽しんでいたはず、
いい雰囲気だったはずなのに、
自分では全く原因が分からないまま、
突然?段々?相手からの反応が薄くなったり、メールやラインが返ってこなくなったり、会えなくなったり、といったことが起こった場合、、
自分を守るため、自分が傷つかないために、相手に自分の価値観を押し付けたり、相手の良いところではなく、弱点ばかりに注目したり、答えにくい質問をしたりしていないか、、など、疑ってみる必要があるかもしれません。


おおよそ、人は、目の前に起こっている出来事を自分の視点からのみ見ています。
相手の視点から見たとき、その出来事がどんな風に映っているのかを、もしも、ほんの少しでも想像することができれば、
相手がなぜそんな態度なのか?
なぜ急に不機嫌になったのか?
乗り気じゃないのはどうしてか?
理解が進む可能性があります。

相手の視点というのは、相手の置かれている環境、状況、周りやあなたとの関係などをリアルに浮かび上がらせ(擦り合わせし)、その立場なら、出来事をどう感じるか?どう見えるか?
ということであり、
これは、よく言われている、
相手の立場になって考えましょう。
を、もっと深く、もっと広い範囲、もっと高いレベルでの擦り合わせとお考えいただけたらと思います。

次がある?

父の死で、、当たり前に「次」があると思っていた自分の甘さを再認識しました。

毎日のサイクルの中で、、

今、あるものが明日には無くなるかもしれなく、

今日の状態は、明日には変化しているかもしれなく、

今日、開いた扉は(チャンスは)、扉さえ見つけられないかもしれない、、、


こんなことが、当たり前に起こり得る可能性を、
どこか、他人事のように、、考えていたように思います。


もしも、、あのとき、あの時間が、父との最後の会話だと分かっていれば、、、
もしも、、、父と過ごせるのが、もう何日もないことを分かっていれば、、
もしも、、父がもう2度と生きて家に帰ってこれないことが分かっていれば、、、



家族も、、友人も、、
そんな風に、考えたかもしれないし、、
今、まだ、、考え続けているかもしれません。



しかし、、現実は、、
明日のことは、誰にも分からないし、
どうやっても、時間を巻き戻すことはできません。


それならば、
「こんなことならば、、、、ああしていれば、、こうしていれば、、、」
と自分自身に、言い訳しなくていいように、
毎日、毎時間、一瞬一瞬を
後悔しない選択をするしかないと思うのです。


私の父は、持病の肝臓病に、さらに難病などを抱え、長い間闘病生活をしていて、入退院は繰り返していましたが、驚くような生命力で、しんどさを周りに感じさせることなく、通常生活を送っていました。


私自身、数年前から、覚悟はしていたつもりとはいえ、最後の緊急入院時も、、またきっといつものように、回復して戻ってくると信じていたのです。

しかし、、、そろそろ退院と喜んでいた矢先、父は、何が起こったのか、、、気づいたときには、病院で散歩中に、座って休憩していたであろう椅子で、すでに心肺停止状態だったと聞きました。

病院から連絡をもらったときには、すでに心肺停止状態だったため、、、
家族の誰も父の最後に立ち会うことができませんでした。

後から発見されたときの時間を聞くと、、その日の昼すぎ、操作していたスマホが、突如、画面が真っ黒になって全く機能しなくなり、再起動を3回かけた時があったのですが、、おそらくその時間帯だったのではないかと思っています。

どんなに覚悟をしていたつもりでも、、父の葬儀で最後の最後、、、棺桶のふたをする時に、、これが、形ある父との最後の対面なんだと事実を突き付けられた気がしました。

形あるものに拘るべきではありませんよ。形はなくともいつもあなた方のことをお父様は見守っているのですから。という、お坊さんの説法を何度聞いても、
、いつものように父を呼びかけ、「んー?」と返事を返してもらえたら、、と、繰り返し、繰り返し、繰り返し願わずにはいられませんでした。


世界的に有名な本、
星の王子さまの冒頭でも、、
「大切なものは目に見えない」
とあります。。

私自身、、そういう繊細な部分こそを大事にしてきたつもりでいましたが、、
それでも、人間は、、
目に見えるものも、求めてしまうものなんだと、、身をもって、家族の死という出来事から体験させられました。



だからこそ、、
一瞬、一瞬を、後悔しないように大事にしながら、
言葉で、行動で、大事な人達に伝えていけたらと思うのです。



そして、、
これを読んでくれているあなたにとって、後悔しない生き方のお手伝いができますように、、

と願います。

対話が怖い

実は、、以前の私は、
対話時
相手の話題に対するリアクションはズレまくり。
言葉遣いのセンスゼロ。
話を聞いているようで、勝手に相手の言葉を自分の辞書に書き換えて、意味を自分流に翻訳。
(相手の感情とズレた意味で会話の意味を介錯。)
という、、ある意味で最強で最凶の対話を日々周りに
撒き散らし続けていました。

ちなみに、最も救い難かったのは、、
自分が最凶の対話をしていることに、これっぽっちも気づいてなかった、、。ところではないでしょうか。。

では、現在の私が対話が上手か?というと、、甚だ疑問でもあるのですが、、
対話について、、
長期間に渡り葛藤した結果、相手の話を聞くことに全力を尽くすことが、『相手を不快にさせない』で対話を続ける鍵ではないかと気づいたのです。

つまり、、相手が話をしている時が、今後の関係を築く上での大きなチャンスでもあると思うのです。


聞き上手になれ。(質問上手になれ!)というような、自己啓発、ビジネス、恋愛指南本等が、、
「相手に気持ちよく話をしてもらう」のが目的としているのに対して、
「相手を不快にさせないで対話を継続させる。」は、それよりもさらに、前段階&ハードルを下げた段階の話になります。
しかし、、ある意味で小手先の技術ではないため、即席では身に付きにくいという側面も持ちます。


第1に、相手が話していることを、自分の都合の良いように翻訳しない(解釈しない)

相手の話を、聞いているようで、聞いていなかったり、、(BGMのように頭に流れているだけ)
部分的に自分の都合のよい箇所だけ、つまみ食いしているような状態であることに、まず自分自身で気づくことが重要と思われます。
(自分の無知を認識し、常に素直な気持ちで話を聞くこと。)


第2に、とにかく相手の話を否定しない(自分の価値観を押し付けない)

相手が話している内容に対して、
そうなんですかー!そうそう、それでいうと○○○は楽しいですよね。私、好きなんですよ。知ってます?などと、自分の話にすり替えたり
(もはや、相手の話を聞いていない。)
相手が誰かに対して、怒り狂っているところに、
冷静に「それは物理的に仕方ないやんね?」「それはあなたが悪いと思うよ。気を付けたほうがいいよ。」
(気を付けるのは自分の方、、。)
など、自分の意見や価値を押し付けては、相手は話す気力さえ無くすでしょう、、。
(気を付けるべきは、、押し付けているつもりは本人にはさらさらないところです。。おおよそは、よかれと思ってやってしまっていると思われます。)



こんなの当たり前やん!
と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、世の中には上には上がいて、下の立場から上の立場は、見えにくいので、十分な注意が必要と思われます。


あなたから見て?感じて?常に楽しい会話ができる相手には、、
特に、、、、
第1 を、自分自身に疑ってみるべきかもしれません。




あなたに、自分の話を一生懸命に伝えようとする人。
あなたの話を、一生懸命に聞こうとする人。

あなたは、、
どちらに好意を抱きますか?


ちなみに、、もし対話相手が
好きな人や、営業先である場合は、

相手のアッピール!している部分を全暗記する気概で!!

もしかしたら、、、
相手があなたに本当は何を望んでいるか、、読める可能性があります、、、。

恋愛塾 番外編 2

前回、女性目線での理想である(と私が思っている)

『誰か、私をどこかへ連れ去って!』
『俺に任せろ。と言って欲しい』
『守ってあげる。と言って欲しい』

について、満載で書かれている歌を、紹介させていただきましたが、今回は、男性目線での理想なのでは?
と思う歌を紹介させていただきます。


B'z
『孤独のランナウェイ』
途中、、少し省略させていただいています

全体的な雰囲気を感じていただければ、、、。
↓↓↓

JUST A RUNAWAY 止めないでよ
後悔は少なめの MY LIFE
雨上がりの明け方 とっくにお前は消えていた
電話もよこさないで
大好きだった女 飲み仲間 順調だった仕事まで
何もかもほったらかし
何が嫌だったの 金なの? マンネリなの?
今頃 お前はどこかで叫んでる like this!


物を置かない主義のお前の部屋に残されていた
サボテンが街を笑い
いい迷惑だと 皆呆れ返った後
また普段の 暮らしを続けてる
何が大事だったの 出ていったやつの
口癖だけが 目の裏で踊る like this!


愛を殴ってみよう 義理を蹴飛ばしてみよう
傷ついて 憎まれてもいいから
孤独の RUNAWAY
本当は誰もが愛人探しに出掛けたがってる
もう戻る気はないよ いろんなものを
無くしちゃったかもしれないけど I'm alright


孤独のrunaway 本当は誰もが
平和に見える毎日を壊したがってる
もしも、あなたの心が身軽なものなら
そこに長居は無用さ baby
here we go!




この歌、、
女性の『どこかへ私を連れ去って』
とある意味で対局。ある意味で同一の理想。である男性の『何の縛りもない。自由な世界へ行ってしまいたい』
の世界を歌っていると思われます。

大好きな女性や、愚痴を言い合う友人や、責任ある仕事も全部ほったらかして、自由にどこへでも行きたい。

この、一人で、空を自由に飛ぶような感覚や、

歌詞の中にある
「本当は誰もが愛人探しに出掛けたがってる」
(愛人とは、現在の生活とは違う、もうひとつの生活。人生。という意味合いと解釈し、今の平凡(に思える)自分とは違う、(本当はもっともっと可能性のある)自分をみつけに行きたい。)
のような変身願望を、うまく表現している歌ではございませんか?

個人的には、、最後の部分である、、

「もう戻る気はないよ
いろんなものを
無くしちゃったかもしれないけど
I'm all right !」

の部分に魅力を感じます。。。
(新しい世界(人生)にとびきりの価値を見つけてしまったんだ!!的な、、、。)


もちろん、縛られたくない女性もいるでしょうし、、男性の方にもそれぞれ個人差はあると思いますが、、
女性は、私をあなただけの世界に連れ去って!私のすべてを守って、、と心のどこかで夢見て、
男性は、全ての責任からハズレて身軽になりたい!何の縛りもない自由な世界に行きたい、、と心のどこかで夢見る。


これが、、そもそも男女間のすれ違いの大前提ではないのかな?と私は考えています。


まずは、、危険な世界から私を守って!と望む女性と、危険を顧みず冒険し続けたい!と望む男性を念頭に置きつつ、、、
コミュニケーションを試みることで、
よくあるパターン、、
「言ってる?やってることの?意味がわかりません!」
という状況に陥ることを避けることができるかもしれません。


実際に世界の何処かへ連れ去ることができなくても、、、冒険し続ける相手を待ち続けなくても、、相手を満足させることができる唯一の方法、、

それが 対話 だと思うのです。

『言葉選び』これこそが、モテへの鍵ではないでしょうか、、、。

恋愛塾 番外編

前回、モテる男性。
なるフレーズがありましたが、、、

つい最近、サラリーマン、オフィスレディーの皆さんと大勢で飲みに行く機会があり、そこで、
「女性はどんな風に口説かれたら嬉しいの?」
「女性はどんな風に誘われたら、嫌じゃないの?」
という話題になり、私は、周りの皆さんの盛り上がりを横目に、、
その会話から、、
以前『モテとは?』の勉強会?研究?という名の飲みの席で、、参加者の男性の記憶に『モテ』を強く刷り込むため、、私自身で『モテる』男性の役をしつこく何時間も演じたことを、思い出していました。。。
(私は女性です、、、。)


そして、、この最近の会社勤めの皆さんとの飲みの後、カラオケで、私がしつこく何時間も演じ続けた『モテる』男性像を、そのまま表現している歌をみつけてしまいましたので、ご紹介したいと思います。
もしよろしければ、ご参照ください。



私の演じた男性像の歌がこちらとなります
↓↓↓

COMPLEX
『恋をとめないで』
(若干古く申し訳ございません。)


この歌、歌い出しが、、、

『夜のデイトは危険過ぎるからなんて
だからどうした
お前の気持ちだろ
そのドアを力一杯閉めれば済むことさ
いつまで少女でいる気なのさ』

中盤が

『お嬢さんのつもりが臆病になってるだけ
部屋にこもって夢見るのかい
家の前で待ってるよ
誰が引き留めても
土曜の夜さ
連れ出してあげる』

クライマックス

『どんなことからも守ってあげるから
Don't stop my love
恋を止めないで
気持ち揺れるまま
俺に任せて』


自己責任度MAX!且つ、全てを受けとめるぜぃ!→(連れ出してやるぜぃ!と歌っていらっしゃるのを聞きましたので。。)
という気概を感じる歌でございませんか?


この歌、歌い始まりの
『だからどうした』
に、全てが集約されるといっても過言ではないかもしれません。

この言葉自体は、少々乱暴な表現ではありますが、、
女性が求めているのは、この強引さだと思うのです。

なぜなら、、女性も「言い訳」がしたいから。。

『強引に誘われて断れなかったから、、。』
など、言って(自慢して)みたいのであります。


中盤にくる、、
『連れ出してあげる』(連れ出してやるぜぃ!)

(私の周りの)世の女性は、独自の(根拠のない)リサーチ結果から
『誰か私を何処かへ連れ去って!!』
という、願望を誰しも待っています。

よって、「連れだしてやるぜぃ!」という台詞は、シンデレラ物語でいえば王子様が迎えにきた。くらいの勢いかもしれません。

そしてそして、、被せて、被せて、最後にさらに被せるのが、、、

『気持ち揺れるまま 俺に任せて』


、、、、お断りできる女性がいるでしょうか?
(おおよそ)いないでしょう。(多分、、、。)




自己責任で、、応用していただけたらと思います。




今回は以上です。

恋愛塾 その4

加筆しました。

前回に引き続き、メールの内容を掘り下げながら、それぞれのメールの違いについてを解説したいと思います。

まずは、復習としてZさんが送ったすべてのメールを順番に並べます。


【明日はどこどこに11時半集合で。楽しみにしてます。】

【明日は家を朝の○時頃に出発して、
何駅○時発 何駅○時着の新幹線で行こうと思っています。
予定どおり、11時半にどこどこに待ち合わせで大丈夫ですか?
帰りは19時頃の新幹線に乗ろうと思っているので、もし、観光とか一緒にできたら嬉しいです。】


【明日は家を何時頃に出発して
何駅○時発、何駅○時着の新幹線で行こうと思っています。
予定どおり、11時半にどこどこに待ち合わせで大丈夫ですか?
それから、帰りは、19時くらいまでなら何時でも私は大丈夫です】


前回からの続きとして、はじめに書くと、
①と②の③の決定的な違いは
『自己責任のレベルの違い』
これになります。


自己責任のレベルとは、、自己責任にしている対象の範囲や、強度、等を言います。

つまり、自己責任にしている対象の範囲が広く、対象への自己責任の強度がつよいほど、相手は責任が軽いので気楽である。とも言えます。


では、ここで、、
送った側をZさん。受け取った側をX君として、
お互いの気持ちを想像しながら(擦り合わせしながら)
もう一度3つのメールを読み比べていただきたいと思います。


【明日はどこどこに11時半集合で。楽しみにしています。】


【明日は家を朝の○時頃に出発して、
何駅○時発 何駅○時着の新幹線で行こうと思っています。
予定どおり、11時半にどこどこに待ち合わせで大丈夫ですか?
帰りは19時頃の新幹線に乗ろうと思っているので、もし、観光とか一緒にできたら嬉しいです。】


【明日は家を何時頃に出発して
何駅○時発、何駅○時着の新幹線で行こうと思っています。
予定どおり、11時半にどこどこに待ち合わせで大丈夫ですか?
それから、帰りは、19時くらいまでなら何時でも私は大丈夫です。】


この3つのメールを以前書いた円陣で例えながら、、解説をしてみたいと思います。

円陣とは、、、私の高校時代の部活のメニューの名前です。部員全員で、練習の一番最後に、手を繋いで円陣を組み、スクワットを50回連続でやり遂げるという練習メニューですが、入部したばかりの1年生は一人で50回をこなすことが難しいため、2年生に腕を引っ張りあげてもらって、なんとか乗りきることができるようになっていきます。
このときの2年生は、自分だけなら問題なくこなせる円陣が、1年生をカバーしながらの、スクワットなので、非常に負担が大きく、厳しい状況に追い込まれます。
しかし、1年生は、自分のことに必死なので、2年生のしんどさには気づくことができません。
また、円陣には責任のルールが明確にあり、1年生が立ち上がれなかったり、タイミングがズレて円陣を崩した場合でも、1年生には責任はなく、その円陣を崩した1年生と手を繋いでいる2年生が責任を背負うことになっていました。1年生は失敗したら自分ではなく、2年生が責任を背負うことが分かっているので、余計に体が固くなってしまうのです。
また、3年生は円陣全体の責任を背負っていて、万が一、円陣が何回か崩れた場合は、別途追加メニューの指示等が課せられます。


(説明にあたり、ZさんとX君という呼び名もややこしく感じたので、、
ゆうこさんと、けんじ君。という呼び方にに変更します。)


↓↓
①のメールは、
《ゆうこさんは1年生。入部したばかり。
けんじ君は2年生。何もわかっていない1年生を引っ張りあげる役割》
強くて、練習もキツそうなことを分かっていながら、入部することを決意した1年生が(モテモテのけんじ君をゆうこさんがデートに誘う)
訳も分からず2年生に引っ張りあげてもらう(けんじ君の負担にも気づかず、ゆうこさんは自分のことに精一杯)
という状態。


順番が逆となりますが、
③のメールは
《ゆうこさんは2年生。自分と1年生に責任を持っています。けんじ君は1年生。自分が失敗したら、2年生に影響があることが分かっています。》
けんじ君が一緒にいる気があるのであれば、私は19時までなら大丈夫です。
さあ、、どうしますか?(円陣に入りますか?入りませんか?)
という状態。

次に②のメールは、
《ゆうこさんは3年生。けんじ君は1年生の役割》
実は、円陣を組むときに、入部したばかりの1年生からすると、3年生は、一見、最も楽そうに見えたりします。
入部間もない自分達は不安定だし、1年生を必死の形相で引っ張りあげているのは2年生だからです。
しかし1年生と2年生の強烈な反動を、体に受けて、体で吸収し、円陣全体のバランスを取っているのは3年生なのです。(通常なら、前に吹っ飛ぶくらいの衝撃)
その大変さが周りから解りづらいのは、3年生は鍛え上げた身体と精神力から、円陣を意図も簡単にこなしているように見えるから。という理由があります。

ちなみに、(失敗するのを恐れて、、2年生の先輩たちの様子を伺いながら)1年生が恐る恐る円陣の中に入ろうとするときに、(余裕があり、ゆったり構えているように見える)3年生は目が合えば常にニコッと笑顔で応えてくれます。
そうすると、1年生は、その円陣に参加する。失敗しても円陣に何度でも挑戦する。それがカッコいいように思えてくるから不思議です。

さて、、けんじ君は、ゆうこさんのリクエスト「観光とか一緒にできたら嬉しいです。」に、応えない場合と、応えた場合と、どちらがカッコよく感じるでしょうか?




ここで、、、(ゆうこさんの)自己責任のレベルの違いが、相手の側(けんじ君側)からして、、どの程度、感じかたに違いがあるか?についても解説したいと思います。


②は
けんじ君は、前日まで、スケジュールが決まってなくても、当日のギリギリになって、夜ご飯まで一緒にいられそうなことを、ゆうこさんに伝えることも可能だし(けんじ君の都合に関係なく、ゆうこさんは、帰りの新幹線は19時頃に乗ろうと思っているのだから)
もしも、けんじ君が4時に行くところがあった場合に、一旦そこで別れたとしても、早く終わったらまた、連絡するよ。タイミングがあえば、夜ご飯も一緒に食べよう。ということも可能かもしれません。

③だと、
けんじ君は、自分の都合でゆうこさんのスケジュールが変わってくるので、事前にスケジュールをハッキリさせないといけなくなるし、、もし、4時に行くところがあった場合、その予定は早く終わるかもしれなくとも、長引いて待たせたあげく、結局そのまま会えなかった。などという事態に陥り、ゆうこさんを振り回すようなことはできないことから、そんな場合は『4時で解散にしよう。』という安全策をとる可能性が高いかもしれません。


つまり、、けんじ君は、③のメールだと失敗したらカッコ悪いのですが、②のメールだと、失敗がない。一緒にいることがカッコいい。ので期待に応えたい感があります。




ゆうこさんとデートをすることや、ゆうこさんと一緒にいることで、けんじ君はカッコ良くいられるか?
これが、次のチャンスに繋がります。


通常は、デートの際に、自分が大事にされているか?気分がよいか?カッコいいか?好かれているか?
気に入ってもらえたのか?
などが気になるかもしれません。

しかし、相手がどれ程、気分が良くデートができたか?自分といることで相手はカッコよかったか?
(大事にされている感はあったか?)
が大事です。

カッコ良いか?(大事にされているか?)の重点は、自分ではなく、相手側に置く必要があります。


それには、相手の失敗を失敗にしないこと。
失敗と思わせないこと。
が大事です。