mahoutukaikunのブログ

対話、コミュニケーション、思考について研究中のみかんです。研究のきっかけとなったカルマの法則やカルマタロットの紹介もさせていただいています。 何気ないある日だったり、感じたことだったりを、気ままに更新できたらと思っています。 日常の呟きの中で、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

答え 2

前回のお芝居についての続きとなります。

周りが大絶賛している中、私の満足感を十分には埋められなかった理由を、個人的見解から、さらに分析してみました。


まず、このお芝居、なぜ行ってみようかという気になったのかというと、役者さんや、監督や、脚本の「社会的地位が高かったから。」(ブランド力が大きかった)なのですが、

そんな場合は、、やはり周りに自慢したくなるのが人間ではありませんか?笑

しかし、様々な事情から、公演を見に行く。ということをあまり公にしないほうがよかったため、私は、周りにこのお芝居のことは一切伝えてなく、そのため、何かの拍子に話題がでても、その話題に乗っかることができませんでした。

もしも、周りにお芝居の話ができる環境で、
「いいなー!」「私も見たいー!」などのリアクションが返ってきていた場合は、
チケットを必死で予約し、時間の確保のための余分な仕事の労力分は、清算できていたような気がします。


次に、素晴らしいお芝居だったことは周りの反応で分かるのですが、レベルの違いをよくわからない私自身の問題で、あまり心に刺さらなかったのです。

では、どうだったら刺さったのか?
ということなのですが、
これは、私自身が重きを置いているもの(重要度の高いもの。)に対して、そのお芝居で触れていることと、その触れられた内容で気分が上がるようなもの。
ではないかと思っています。


あの日、足を運んでいた方たち全員の、重きを置いているもので、そこをお芝居で触れられたら、その内容で気分があがるようなもの。
というのは、非常に難しい気がします。
しかし、大多数の方のそれを満たしている作品などが、世に言うヒット作。となるのではないでしょうか。



上記を、違うもので例えると
あなたはガラス食器集めが趣味だったとします。
あなたは、今日もお気に入りのお店に、食器を物色しにいきました。
一段高いところに、有名高級ブランドのガラス食器セットが置いてあり、それを手にとって眺めていると、店員さんに「お客様お目が高い。限定商品で当店に入ってきたのは1セットのみとなっております。」
など、話しかけてこられました。
なるほど。さすがに素晴らしいデザインで、惚れ惚れしてしまいます。
しかし、あなたは、少し高額だったこともあり、今回は見送ろうと思っていたところ、
横から「あ!あれ私が欲しかった限定セットよ!入荷してきたのね!○○さんも欲しいけど、手にはいらないとおっしゃってたのよ。あの方が買わないのなら、私、買うわ!」と、奥様二人組がそのガラス食器を見つけ、後ろで話しているのを聞いてしまいました。

そして、あなたの手に取っているものを羨ましそうに見つめています。

さて、、あなたは、このガラス食器を諦めるでしょうか?
買ってしまうでしょうか?



ちなみに、あなたの生活、人生の中で、ガラス食器の重要度が低い場合は、いくら店員さんに高級ブランドの貴重な限定セットだと説明を受けても、うしろの奥様方に羨ましがられても、購入に至らないのではないでしょうか?


逆に、ガラス食器に限らず、あなたが生活や人生の中で、重要度を高く見積もっているものならば、社会的ブランドも、周りの声も、関係なく、買わずにはいられないものなのかもしれません。
また、購入後に、社会的ブランドや、周りからの声が高くなった場合は、さらにさらにそれについて追及してしまいたくなるのかもしれません。



今回のお芝居は、私にとって、個人的価値。の部分で引っ掛からなかったこと。
通常、周りからの価値で補えた部分も、その機会がなかったこと。

これが、なんだか、モヤモヤした感想の結果。
だったのかもしれない。と思っています。

答え

少し前に、東京で人気役者と、実力派女優共演の珍しい舞台があり見に行ってきました。
私は元来、お芝居にあまり興味がないのですが、人気絶頂の役者さんということや、脚本家や監督も総出で話題になっていたことから乗り気になったのです。

この公演チケット、人気だったこともあり、20000円弱。席の確保にも一苦労。
また、個人的な事情ですが、交通費や宿泊費が余分にかかり、さらに仕事でタイトなスケジュールがつづいていたため、なんとかかんとか時間の捻出をし、くたくたの状態でお芝居当日を迎えました。


さて、この舞台。
公演後の周りの方たちの「よかったわぁー。」
「やっぱりお上手ねー。」
など、絶賛している声や、満足そうな顔から想像するに、全てにおいて(役者さん、演出、音響、技術等)通常よりも、相当レベルが高かったのは間違いないようでした。


しかしながら、、私の感想は正直なところ、
「まぁ、、悪くはないけど。。。」
というような曖昧なものに留まっていました。

なぜ、周りの評価が高いお芝居に対して、
私だけこのような感想になってしまっているのかというと、
私はこの舞台のために、チケット代と交通費と宿泊費を併せた数万円と、時間の捻出のための労力を支払っているためで、それが、対価的に釣り合わなかったから。
だと自分なりに分析しました。

では、その支払った対価が、どんなお芝居、演出ならば釣り合ったのか?
と考えてみたのですが、、

私は、
元々お芝居に興味があったわけではないので、
「誰よりも上手い演技やレベルの高い演出」
を求めていたわけではなく、
その人気絶頂の役者さんに
「そこでしか見られないもの。他では体験できないもの。」
これを、数万円と、時間と、労力を、支払って(勝手に)期待していたのかもしれません。


そして、上記の「そこでしか見られないもの。他では体験できないもの。」
とは、
私はこれこれこういうものを求めているのです!
といったような自分自身で明確に認識できているものではなく、
それを見たり、聞いたり、体験することにより
(あぁ、私が求めていた答えはこれだ。。。)
と発見?気づかせてくれる?ようなものではなかったのかな?と思ったりしています。


つまり、私は、他では体験できない満足感を提供してくれるならば、それに比例して、高いリスクを背負い、代償を支払うことも厭わない。
ということになるのではないでしょうか。


これを、逆に、私の対人関係、仕事に置き換えて考えてみると、相手にこの満足感を提供できれば、良い関係を作ることができるのかもしれません。



ところで、この他では体験できない満足感(自分でも気づかずにずっと求めていた答えの提供)ですが、
人によっても違うでしょうし、もし、目の前の誰かの満足感を満たすためには私は何を基準に考えたらよいのでしょうか?



目の前の誰かが求めている答え。
これは、私自身がずっと求めていた答え。
なのかもしれません。


つまり、
私が誰かに求めている言葉(求めている行動)
これが、目の前の誰かが、私に求めている言葉(求めている行動)
ではないでしょうか、、、。

インナーマッスル?

(自称)プロ野球の関係者の方から
プロの世界で活躍できるほどの逸材は、歩いている姿から、もう全然違う。とお伺いしたことがあります。

立ち姿だけでもある程度判断がつくらしいのですが、歩いている姿を重要視するのは、動きだし?動き?にこそ、才能や能力が自然とでているから。なのだそうです。

『上手いや下手や、誰が見てもわかるようなところは、後付けや。』と。

ちなみに、何もわかってもないのに、どのあたりをどう見るのですか?と失礼を承知で聞いてみたものの、『いや、こうね、、何て言うかな、、動くときにね、、。うーん、、何て言ったらいいのかなー、、』
と、嫌な顔もせずに、説明しづらい極意的なものを説明していただいたのですが、その言葉を何回か自分の中で繰り返し自己分析した結果、
「足の運びが独特で、歩いているのにすぐには歩いていることに気づかない。歩きはじめたことに数歩目で気づく。浮いたような動き?つまり、周りと完全に調和している。」
のようなことかな?と思ったりしています。

注 調和とは周りと一体化していて、違和感なく人も景色のように認識される(風や空気のような存在)とお考えいただけたらと思います。

極意を言葉で表現するのは、とても難しいですが、
普通に見えているのに、通常周りからは分からない、気づかれない部分に、その道の専門家?の、判断材料がある。というのは、非常に興味深く、今でもよくこのフレーズを思い出します。


見ているつもりで、見えてないもの。
聞いているつもりで、聞こえてないもの。
そのような本質を見抜く能力は、
プロの素質を見抜く眼力同様、欲しくてもなかなか手に入るものではないと思います。
だからこそ、レアで価値が高いのでしょう、、。



つまり、何が言いたいのかというと、、
欲しくても、なかなか手にいれることが難しい能力の
擬似体験的なものが気軽にできるツール。

それが、カルマタロットだと知っていただけたらと思い、書いてみました。

ご興味を持っていただけたら嬉しいです。

最悪よ。好きになってしまったわ。

数日前、雑誌でパリジェンヌ特集をしていたので、なんとなく頁をパラパラめくっていて目に留まった記事があります。

フランス映画のワンシーンを扱っているのですが、
↓↓

自立した大人の女性である主人公が、
自由をこよなく愛し、純粋でいて繊細。独特の感性が魅力でもある芸術家の男性と偶然に知り合い、何度か会ううちに、

「最悪よ。あなたを好きになってしまったわ。」
と、その男性にポツリと話す。

というようなシーンが書かれていました。


さすがアッモ-レの国?!
この冒頭のセリフ、正直でいじらしくて、その上、かっこよくもあり、とても気に入ってしまいました。



「好きになってしまったわ。」の前に付く、
「最悪よ。」には、

大人の女性ゆえの内的な葛藤があったのかも。と、勝手に想像してしまいますが、、
(私の常識なんて通用しないかもしれないし、振り回されるかもしれないし、いつフラッと居なくなるかもしれないし、独特の世界があるし、何考えてるかよくわからないし、、、
みたいなものでしょうか。)


それを含みつつも、、
男性の才能も、弱点も、すべてを素直に受け入れつつ、大胆な告白はしていながらも、相手に何も望んでいない、答えを求めていないところが、なんともすてきです。



ただ、同じ葛藤があったとしても、
もしも、この主人公の女性の言葉が、

「あなたを好きになるのが怖いの。」
や、
「好きだと言ったらあなたはどうする?」

などだった場合は、

私が男性の立場ならば、、

特にその女性のことを嫌いではなくても、なんとかしなくてはいけない気になり、居心地も悪く、答えにくい質問でもあることから、次に会うことへのハードルが高くなってしまう可能性も考えられます。



つまり、、
男性でも、女性でも、
仲良くやっていたはず、相手も楽しんでいたはず、
いい雰囲気だったはずなのに、
自分では全く原因が分からないまま、
突然?段々?相手からの反応が薄くなったり、メールやラインが返ってこなくなったり、会えなくなったり、といったことが起こった場合、、
自分を守るため、自分が傷つかないために、相手に自分の価値観を押し付けたり、相手の良いところではなく、弱点ばかりに注目したり、答えにくい質問をしたりしていないか、、など、疑ってみる必要があるかもしれません。


おおよそ、人は、目の前に起こっている出来事を自分の視点からのみ見ています。
相手の視点から見たとき、その出来事がどんな風に映っているのかを、もしも、ほんの少しでも想像することができれば、
相手がなぜそんな態度なのか?
なぜ急に不機嫌になったのか?
乗り気じゃないのはどうしてか?
理解が進む可能性があります。

相手の視点というのは、相手の置かれている環境、状況、周りやあなたとの関係などをリアルに浮かび上がらせ(擦り合わせし)、その立場なら、出来事をどう感じるか?どう見えるか?
ということであり、
これは、よく言われている、
相手の立場になって考えましょう。
を、もっと深く、もっと広い範囲、もっと高いレベルでの擦り合わせとお考えいただけたらと思います。

次がある?

父の死で、、当たり前に「次」があると思っていた自分の甘さを再認識しました。

毎日のサイクルの中で、、

今、あるものが明日には無くなるかもしれなく、

今日の状態は、明日には変化しているかもしれなく、

今日、開いた扉は(チャンスは)、扉さえ見つけられないかもしれない、、、


こんなことが、当たり前に起こり得る可能性を、
どこか、他人事のように、、考えていたように思います。


もしも、、あのとき、あの時間が、父との最後の会話だと分かっていれば、、、
もしも、、、父と過ごせるのが、もう何日もないことを分かっていれば、、
もしも、、父がもう2度と生きて家に帰ってこれないことが分かっていれば、、、



家族も、、友人も、、
そんな風に、考えたかもしれないし、、
今、まだ、、考え続けているかもしれません。



しかし、、現実は、、
明日のことは、誰にも分からないし、
どうやっても、時間を巻き戻すことはできません。


それならば、
「こんなことならば、、、、ああしていれば、、こうしていれば、、、」
と自分自身に、言い訳しなくていいように、
毎日、毎時間、一瞬一瞬を
後悔しない選択をするしかないと思うのです。


私の父は、持病の肝臓病に、さらに難病などを抱え、長い間闘病生活をしていて、入退院は繰り返していましたが、驚くような生命力で、しんどさを周りに感じさせることなく、通常生活を送っていました。


私自身、数年前から、覚悟はしていたつもりとはいえ、最後の緊急入院時も、、またきっといつものように、回復して戻ってくると信じていたのです。

しかし、、、そろそろ退院と喜んでいた矢先、父は、何が起こったのか、、、気づいたときには、病院で散歩中に、座って休憩していたであろう椅子で、すでに心肺停止状態だったと聞きました。

病院から連絡をもらったときには、すでに心肺停止状態だったため、、、
家族の誰も父の最後に立ち会うことができませんでした。

後から発見されたときの時間を聞くと、、その日の昼すぎ、操作していたスマホが、突如、画面が真っ黒になって全く機能しなくなり、再起動を3回かけた時があったのですが、、おそらくその時間帯だったのではないかと思っています。

どんなに覚悟をしていたつもりでも、、父の葬儀で最後の最後、、、棺桶のふたをする時に、、これが、形ある父との最後の対面なんだと事実を突き付けられた気がしました。

形あるものに拘るべきではありませんよ。形はなくともいつもあなた方のことをお父様は見守っているのですから。という、お坊さんの説法を何度聞いても、
、いつものように父を呼びかけ、「んー?」と返事を返してもらえたら、、と、繰り返し、繰り返し、繰り返し願わずにはいられませんでした。


世界的に有名な本、
星の王子さまの冒頭でも、、
「大切なものは目に見えない」
とあります。。

私自身、、そういう繊細な部分こそを大事にしてきたつもりでいましたが、、
それでも、人間は、、
目に見えるものも、求めてしまうものなんだと、、身をもって、家族の死という出来事から体験させられました。



だからこそ、、
一瞬、一瞬を、後悔しないように大事にしながら、
言葉で、行動で、大事な人達に伝えていけたらと思うのです。



そして、、
これを読んでくれているあなたにとって、後悔しない生き方のお手伝いができますように、、

と願います。

対話が怖い

実は、、以前の私は、
対話時
相手の話題に対するリアクションはズレまくり。
言葉遣いのセンスゼロ。
話を聞いているようで、勝手に相手の言葉を自分の辞書に書き換えて、意味を自分流に翻訳。
(相手の感情とズレた意味で会話の意味を介錯。)
という、、ある意味で最強で最凶の対話を日々周りに
撒き散らし続けていました。

ちなみに、最も救い難かったのは、、
自分が最凶の対話をしていることに、これっぽっちも気づいてなかった、、。ところではないでしょうか。。

では、現在の私が対話が上手か?というと、、甚だ疑問でもあるのですが、、
対話について、、
長期間に渡り葛藤した結果、相手の話を聞くことに全力を尽くすことが、『相手を不快にさせない』で対話を続ける鍵ではないかと気づいたのです。

つまり、、相手が話をしている時が、今後の関係を築く上での大きなチャンスでもあると思うのです。


聞き上手になれ。(質問上手になれ!)というような、自己啓発、ビジネス、恋愛指南本等が、、
「相手に気持ちよく話をしてもらう」のが目的としているのに対して、
「相手を不快にさせないで対話を継続させる。」は、それよりもさらに、前段階&ハードルを下げた段階の話になります。
しかし、、ある意味で小手先の技術ではないため、即席では身に付きにくいという側面も持ちます。


第1に、相手が話していることを、自分の都合の良いように翻訳しない(解釈しない)

相手の話を、聞いているようで、聞いていなかったり、、(BGMのように頭に流れているだけ)
部分的に自分の都合のよい箇所だけ、つまみ食いしているような状態であることに、まず自分自身で気づくことが重要と思われます。
(自分の無知を認識し、常に素直な気持ちで話を聞くこと。)


第2に、とにかく相手の話を否定しない(自分の価値観を押し付けない)

相手が話している内容に対して、
そうなんですかー!そうそう、それでいうと○○○は楽しいですよね。私、好きなんですよ。知ってます?などと、自分の話にすり替えたり
(もはや、相手の話を聞いていない。)
相手が誰かに対して、怒り狂っているところに、
冷静に「それは物理的に仕方ないやんね?」「それはあなたが悪いと思うよ。気を付けたほうがいいよ。」
(気を付けるのは自分の方、、。)
など、自分の意見や価値を押し付けては、相手は話す気力さえ無くすでしょう、、。
(気を付けるべきは、、押し付けているつもりは本人にはさらさらないところです。。おおよそは、よかれと思ってやってしまっていると思われます。)



こんなの当たり前やん!
と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、世の中には上には上がいて、下の立場から上の立場は、見えにくいので、十分な注意が必要と思われます。


あなたから見て?感じて?常に楽しい会話ができる相手には、、
特に、、、、
第1 を、自分自身に疑ってみるべきかもしれません。




あなたに、自分の話を一生懸命に伝えようとする人。
あなたの話を、一生懸命に聞こうとする人。

あなたは、、
どちらに好意を抱きますか?


ちなみに、、もし対話相手が
好きな人や、営業先である場合は、

相手のアッピール!している部分を全暗記する気概で!!

もしかしたら、、、
相手があなたに本当は何を望んでいるか、、読める可能性があります、、、。

恋愛塾 番外編 2

前回、女性目線での理想である(と私が思っている)

『誰か、私をどこかへ連れ去って!』
『俺に任せろ。と言って欲しい』
『守ってあげる。と言って欲しい』

について、満載で書かれている歌を、紹介させていただきましたが、今回は、男性目線での理想なのでは?
と思う歌を紹介させていただきます。


B'z
『孤独のランナウェイ』
途中、、少し省略させていただいています

全体的な雰囲気を感じていただければ、、、。
↓↓↓

JUST A RUNAWAY 止めないでよ
後悔は少なめの MY LIFE
雨上がりの明け方 とっくにお前は消えていた
電話もよこさないで
大好きだった女 飲み仲間 順調だった仕事まで
何もかもほったらかし
何が嫌だったの 金なの? マンネリなの?
今頃 お前はどこかで叫んでる like this!


物を置かない主義のお前の部屋に残されていた
サボテンが街を笑い
いい迷惑だと 皆呆れ返った後
また普段の 暮らしを続けてる
何が大事だったの 出ていったやつの
口癖だけが 目の裏で踊る like this!


愛を殴ってみよう 義理を蹴飛ばしてみよう
傷ついて 憎まれてもいいから
孤独の RUNAWAY
本当は誰もが愛人探しに出掛けたがってる
もう戻る気はないよ いろんなものを
無くしちゃったかもしれないけど I'm alright


孤独のrunaway 本当は誰もが
平和に見える毎日を壊したがってる
もしも、あなたの心が身軽なものなら
そこに長居は無用さ baby
here we go!




この歌、、
女性の『どこかへ私を連れ去って』
とある意味で対局。ある意味で同一の理想。である男性の『何の縛りもない。自由な世界へ行ってしまいたい』
の世界を歌っていると思われます。

大好きな女性や、愚痴を言い合う友人や、責任ある仕事も全部ほったらかして、自由にどこへでも行きたい。

この、一人で、空を自由に飛ぶような感覚や、

歌詞の中にある
「本当は誰もが愛人探しに出掛けたがってる」
(愛人とは、現在の生活とは違う、もうひとつの生活。人生。という意味合いと解釈し、今の平凡(に思える)自分とは違う、(本当はもっともっと可能性のある)自分をみつけに行きたい。)
のような変身願望を、うまく表現している歌ではございませんか?

個人的には、、最後の部分である、、

「もう戻る気はないよ
いろんなものを
無くしちゃったかもしれないけど
I'm all right !」

の部分に魅力を感じます。。。
(新しい世界(人生)にとびきりの価値を見つけてしまったんだ!!的な、、、。)


もちろん、縛られたくない女性もいるでしょうし、、男性の方にもそれぞれ個人差はあると思いますが、、
女性は、私をあなただけの世界に連れ去って!私のすべてを守って、、と心のどこかで夢見て、
男性は、全ての責任からハズレて身軽になりたい!何の縛りもない自由な世界に行きたい、、と心のどこかで夢見る。


これが、、そもそも男女間のすれ違いの大前提ではないのかな?と私は考えています。


まずは、、危険な世界から私を守って!と望む女性と、危険を顧みず冒険し続けたい!と望む男性を念頭に置きつつ、、、
コミュニケーションを試みることで、
よくあるパターン、、
「言ってる?やってることの?意味がわかりません!」
という状況に陥ることを避けることができるかもしれません。


実際に世界の何処かへ連れ去ることができなくても、、、冒険し続ける相手を待ち続けなくても、、相手を満足させることができる唯一の方法、、

それが 対話 だと思うのです。

『言葉選び』これこそが、モテへの鍵ではないでしょうか、、、。