mahoutukaikunのブログ

カルマの法則、カルマタロットを日々研究中のみかんです。 何気ないある日だったり、感じたことだったりを、気ままに更新できたらと思っています。 日常の呟きの中で、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

野生王国 ②

チーター君と山猫ちゃんの話を続けます。

今回は、お互いの前提の違いが具体的にどんな形でカードが現れるか?について紹介予定でしたが、、少し趣向を変更し、チーター君と山猫ちゃんの物語から、、
なぜ?どんな理由から?問題が起こるのか?すれ違いが起こるのか?について、考えてみたいと思っています。


それでは、、はじめます。

山猫ちゃんの目にはチーター君は、スーパーマンのように映っています。
狩りが上手で、大きな獲物が手に入ったときは分けてくれる優しいチーター君は、山猫ちゃんにとってヒーローのような存在なのです。
しかし、実際のチーター君は、たまたま、大きな獲物が手に入った時に、ついでにわけてくれたのではなく、今回もリスクを背負って山猫ちゃんのために、大きな獲物を狙い、狩りをしました。
おそらく、これまでも、わざわざ二人分の狩りをしてくれていたかもしれません。
さらに、山猫ちゃんは自分の経験があまりにも少ないため、狩りがどれほど大変なことなのかも、理解できてなく、ご飯を分けてくれる。と言うことがチーター君にとって、どれほど大きな負担であるか?考えたこともないのです。

山猫ちゃんはチーター君の、リスク、労力、気持ち(支援)が全く見えていません。

さらに、山猫ちゃんは、狩りはいつでも(明日も、明後日も、明明後日も、、)できると考えていて、、さらにさらに、チーター君が当たり前に存在して(居なくなるなど考えてもなく)、続けてご飯を分けてもらいたい前提でいたため、今回の大きくて美味しいご馳走を敢えて少ししか食べず我慢しました。
チーター君は、自分の食べた残りを木の上に隠していたわけではなく、一口も食べることなく、山猫ちゃんのために、大きなご馳走を運んだことを忘れてはいけません。つまり、山猫ちゃんが、お腹がはち切れんばかりに、食べてこそ、チーター君は満足だったはずなのです。

現在、山猫ちゃんは、不安がいっぱいの中、空腹とも戦っています。
少し食べて、またいつでも食べれると思い、残した甘い自分の考えに大きな後悔をしているかもしれません。
もし、、あのご馳走をお腹いっぱいになるまで食べていれば、万が一この日を境に、何も口にできることなく命が尽きたとしても、山猫ちゃんは、それについての後悔はなかったのではないでしょうか?

山猫ちゃんは、幼く、今までは母親に、、はぐれてからはチーター君に守ってもらっていたため、自分が現在置かれている環境、状況、前提等が分かってないことから、このような状況に陥った可能性があります。


また、チーター君は、地上最速で走り狩りをする姿が何ともカッコよく、誰もそのスピードには追いつくことができません。
だからこそ、狩りも得意で、山猫ちゃんにご飯を分けてあげることも可能なのです。
しかし、チーター君、ライオンの群れに獲物を狙われてそれを死守しようとし、現在、大怪我を負い、自由に動くこともままなりません。

相手はライオンの群れなのです。
ライオンは、群れで狩りをし、力で相手をねじ伏せます。
相手が一頭ならまだしも、、チーター君は、自分のプライドを守るよりも、身を守ることが先決だったのではないでしょうか?

もしも、この怪我で足を損傷してしまった場合、チーター君は、得意な狩りも満足にはできなくなってしまいます。

それぞれ戦うフィールド(得意分野)があるのです。
チーター君は自分のフィールドと違う相手に対して、敬意と恐れを持つ必要があるかもしれません。。



野生王国の動物達は、明日の命も知れず、常に死と隣り合わせです。

そこには、世間一般の常識やルールなど存在しません。
一瞬、一瞬を、生きることに一生懸命です。

その前提で私達の物語を考えた時、カルマの法則の理解が進むのではないかと思い、野生王国の動物達を主人公とした物語を扱ってみました。

さて、あなたが、同じ状況、環境に置かれた、チーター君なら?山猫ちゃんなら?どんなスレ違いや問題が起こっていた可能性があるでしょうか??



もしも、何かについての葛藤をしたり、問題が起こった場合に、自分を野生王国に生きる動物だとしたら?

一週間後に死んでしまう可能性があるなら、一体私(俺)はどうしたいか?どうするか?と考えてみるのもよいかもしれません。

死を覚悟した時、自分でも、思ってもいない力を発揮したり、答えを見つけたりする可能性があります。

つまり、自分の現在の様々なプライドや、カッコ悪さに縛られて動けなかったり、前提や状況や環境から、問題が問題であり続けるところを、死という最もリスクの高い問題を前にすると、他の問題は問題ではなくなる。(それどころではない)というように考えると分かりやすいかもしれません。