引導
私の実家の宗派では、故人に向けて、引導を渡す。
始めて、引導の言葉である『喝!』をお葬式で聞いたときは、子供であるのも手伝って、大変驚き、その拍子に座ったまま後ろに倒れた。
この世は森羅万象。
どんなものも逃れることはできません。
人間も例外ではないのです。
お別れの時が来ました。
ここはもうあなたの帰ってくる家ではありません。
あなたは、あの川を渡って行く人です。
もう戻ってきてはいけません。
未練を断ち切り、さあ行きなさい。
『喝!』
という意味である。
と聞いたことがある。
私の父は、亡くなる日の朝も普通に喋り、散歩に歩き回っていて、誰も父の死を予想だにしていなかった。
それだけに、家族にとって、父の死を受け入れるのは容易ではなかった。
私自身も、通夜や告別式を行いながらも、どこかで父との別れを決心できずにいたように思う。
そして、お経の最後の最後である、父へ向けての『喝!』を聞いて、私自身が引導を渡されたようでもあった。
お別れの時が来ました。
あなたのお父さんは川を渡って行く人です。
さあ、未練を断ち切り行かせてあげなさい。
『喝!』
父の死を体験するまで、、、
私にとっての別れとは、、あって欲しくない。起こって欲しくないものだった。
現在の私にとっての別れとは、、そうなるべくしてななるもの。大きな大きな世界の一部としての流れなのかもしれないと思えるようにもなった。
では、、未来の私にとっての別れとは、、、?
父は、病気や、治療や、煩わしいいろんな縛りから、解放されてとても自由になった。
きっと、、、快適な世界で自由を満喫していると思っている。
いつか、遠い未来に、また父と会える日がくるかもしれない。
その日がいつかはわからないけど、、別れたあの日ののままの自分ではなく、もっともっと成長している私として対面を果たしたい。
そのためには、留まりたい気持ちを奮い立たせ、自分自身も前を向き、次に向けて旅立つ人でありたいと思っている。
父が好きだった小鳥が遠くからいつも見守っている。。。。