mahoutukaikunのブログ

カルマの法則、カルマタロットを日々研究中のみかんです。 何気ないある日だったり、感じたことだったりを、気ままに更新できたらと思っています。 日常の呟きの中で、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

引導

私の実家の宗派では、故人に向けて、引導を渡す。

始めて、引導の言葉である『喝!』をお葬式で聞いたときは、子供であるのも手伝って、大変驚き、その拍子に座ったまま後ろに倒れた。




この世は森羅万象。
どんなものも逃れることはできません。
人間も例外ではないのです。

お別れの時が来ました。

ここはもうあなたの帰ってくる家ではありません。
あなたは、あの川を渡って行く人です。
もう戻ってきてはいけません。

未練を断ち切り、さあ行きなさい。
『喝!』

という意味である。
と聞いたことがある。



私の父は、亡くなる日の朝も普通に喋り、散歩に歩き回っていて、誰も父の死を予想だにしていなかった。

それだけに、家族にとって、父の死を受け入れるのは容易ではなかった。

私自身も、通夜や告別式を行いながらも、どこかで父との別れを決心できずにいたように思う。

そして、お経の最後の最後である、父へ向けての『喝!』を聞いて、私自身が引導を渡されたようでもあった。


お別れの時が来ました。
あなたのお父さんは川を渡って行く人です。
さあ、未練を断ち切り行かせてあげなさい。
『喝!』


父の死を体験するまで、、、
私の中の別れとは、
去る人と、残された人と、与える人(手を差しのべてくれる人)だった。

それが、今では、、
旅立つ人と、留めたい人(留めようとする人)と、遠くから見守る人。となった。


過去の私にとっての別れとは、、カルマタロットで言えば、死神のカードになるだろうか、、、。

現在の私にとっての別れとは、、カルマタロットで言えば、愚者かもしれない、、、。

では、、未来の私にとっての別れは、、カルマタロットで言えば、、何になるだろう?

おそらく、、
世界ではないかと思っている。


まだ、その境地には至っていないけれど、、いつか、、そうなれたらよいと思う。

そのためには、、過去の私が、別れの事実を受け入れられず、呆然として立ち上がることさえできずにいたら、現在の私が、過去の私を背にして死神(別れ)と向き合わなければいけないと思っている。

過去の私は、そうやって、両腕を持って引っ張りあげてもらった。

今度は、現在の私が、引っ張りあげる番だ。

ぐらぐらして、一緒に倒れそうになるけれど、、
踏ん張らなくてはいけない。


そして、自分自身も前を向き、旅立つ人でありたい。

小鳥が遠くからいつも見守っている。。。。