お前は何者だ?!
本日は、F1ドライバーの人生を描いた映画について書いてみたいと思います。
F1ドライバーとは、常に死と隣り合わせの職業で、レース前には、迫り来る死の恐怖と戦い、それを制し、自らその恐怖の方向へアクセルを踏み込まなければいけないそうです。
だからこそ、普通の人では考えられないようなお金を手にすることができたり、モテたりするわけですが、、。
この映画には、
野性的思考であり、毎日を人生最期の日の様に謳歌する豪放なプレイボーイで、勘を活かした走りを得意とするドライバーA。
「コンピュータ」と評される論理的思考であり、レーサーのイメージとはかけ離れた勤勉な男で、工学の知識を活かして自らマシンを整備する走りを得意としているドライバーBが登場します。
全く正反対の性格の2人が、やがてライバル関係となり、度々レースで競い合うという物語展開です。
ある日のレースの朝、大雨模様となってしまい、リスクを考えると、このままレースを開催してよいものか?と、関係者が集まり審議していた時のことです。
ドライバーBが、大会関係者に向かって理論的に訴え続けます。
「レースをするにはあまりにも環境が悪い。よって今回は見送るべきだ。
F1ドライバーは常に20パーセントの死のリスクを抱えている。
それは仕方ないが、それ以上の確率は認められない。」
確かにドライバーBの話は、至極、最もなものであり、誰もがモヤモヤした気持ちを抱えながらも、反論の言葉が見つからず、会場が混沌とし始めた時、
曖昧な空気を打ち破ったのが、
ドライバーAの言葉でした。
「俺はF1ドライバーだ。
お前は何者だ?
さぁ、レースをはじめようぜ。」
常に理性的なドライバーBも、これには何も言い返せず、レースの決行が決定的となったのですが、、
映画の物語は横へ置いておいて、、
「俺はF1ドライバーだ。
お前は何者だ?
さぁ、レースを始めようぜ。」
個人的に、この言葉が胸に突き刺さりまくって、痺れまくって、ブログを夢中で書いてしまいました。
(もちろん、命を軽々しく扱うのは反対ですし、どんな場合でも、上記が適用されるわけではないのですが、
舞台が世界最高峰のF1レースであったこと、F1に上り詰めるまでのF3からの苦労や努力、F1ドライバーとしての誇り。等
それらを含めて、その台詞が心に突き刺さった。というようなことをご理解いただけたらと思います。)
100パーセント正しい意見、言葉であろうとも、
それが、例え常識はずれであろうと、何の根拠もなかろうと、、
強く心に突き刺さり、心を揺さぶられる言葉の前では無力化(効力が無効になる)されることがあります。
さて、、、
心に突き刺さり、揺さぶられ、突き動かすものの正体とは、一体なんでしょうか?
また、、
あなたの話す言葉は、
誰かの心に突き刺さり、揺さぶることができているでしょうか?
次回で、そのあたりを書けたらと思っています。
本日は以上です。