答え
少し前に、東京で人気役者と、実力派女優共演の珍しい舞台があり見に行ってきました。
私は元来、お芝居にあまり興味がないのですが、人気絶頂の役者さんということや、脚本家や監督も総出で話題になっていたことから乗り気になったのです。
この公演チケット、人気だったこともあり、20000円弱。席の確保にも一苦労。
また、個人的な事情ですが、交通費や宿泊費が余分にかかり、さらに仕事でタイトなスケジュールがつづいていたため、なんとかかんとか時間の捻出をし、くたくたの状態でお芝居当日を迎えました。
さて、この舞台。
公演後の周りの方たちの「よかったわぁー。」
「やっぱりお上手ねー。」
など、絶賛している声や、満足そうな顔から想像するに、全てにおいて(役者さん、演出、音響、技術等)通常よりも、相当レベルが高かったのは間違いないようでした。
しかしながら、、私の感想は正直なところ、
「まぁ、、悪くはないけど。。。」
というような曖昧なものに留まっていました。
なぜ、周りの評価が高いお芝居に対して、
私だけこのような感想になってしまっているのかというと、
私はこの舞台のために、チケット代と交通費と宿泊費を併せた数万円と、時間の捻出のための労力を支払っているためで、それが、対価的に釣り合わなかったから。
だと自分なりに分析しました。
では、その支払った対価が、どんなお芝居、演出ならば釣り合ったのか?
と考えてみたのですが、、
私は、
元々お芝居に興味があったわけではないので、
「誰よりも上手い演技やレベルの高い演出」
を求めていたわけではなく、
その人気絶頂の役者さんに
「そこでしか見られないもの。他では体験できないもの。」
これを、数万円と、時間と、労力を、支払って(勝手に)期待していたのかもしれません。
そして、上記の「そこでしか見られないもの。他では体験できないもの。」
とは、
私はこれこれこういうものを求めているのです!
といったような自分自身で明確に認識できているものではなく、
それを見たり、聞いたり、体験することにより
(あぁ、私が求めていた答えはこれだ。。。)
と発見?気づかせてくれる?ようなものではなかったのかな?と思ったりしています。
つまり、私は、他では体験できない満足感を提供してくれるならば、それに比例して、高いリスクを背負い、代償を支払うことも厭わない。
ということになるのではないでしょうか。
これを、逆に、私の対人関係、仕事に置き換えて考えてみると、相手にこの満足感を提供できれば、良い関係を作ることができるのかもしれません。
ところで、この他では体験できない満足感(自分でも気づかずにずっと求めていた答えの提供)ですが、
人によっても違うでしょうし、もし、目の前の誰かの満足感を満たすためには私は何を基準に考えたらよいのでしょうか?
目の前の誰かが求めている答え。
これは、私自身がずっと求めていた答え。
なのかもしれません。
つまり、
私が誰かに求めている言葉(求めている行動)
これが、目の前の誰かが、私に求めている言葉(求めている行動)
ではないでしょうか、、、。