mahoutukaikunのブログ

対話、コミュニケーション、思考について研究中のみかんです。研究のきっかけとなったカルマの法則やカルマタロットの紹介もさせていただいています。 何気ないある日だったり、感じたことだったりを、気ままに更新できたらと思っています。 日常の呟きの中で、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

スパイ大作戦(修正版)

もしもあなたがスパイだとして、読み進めていただいたらと思います。

あなたに与えられた任務は、敵地に乗り込み、時限爆弾の解除をし、捕らえられた人質の救出をすることです。

いよいよ任務遂行の日がきました。


敵地に侵入し、カチカチと針が時間を刻む中、時限爆弾の解除が思うように進みません。
このままでは爆発に巻き込まれて人質もあなたの命も危険です。
それに、今にもあなたの姿を見つけて大勢の敵の足音が迫ってくるのが聞こえて来そうです。

一刻も早くここから抜け出さなくては!!  




ここで、突然ですが、
時限爆弾の解除が思うように進まなかったのはなぜか??

想像してみてほしいのです。


例えば、、、
①自分が苦手なパターンの時限爆弾のタイプだったから?
②想像を超える威力の爆弾を前に恐怖で身体が思うように動かなかったから?
③爆発だけならまだしも、時間制限があったから?
④あまりに複雑な仕組みだったから?
⑤無線が壊れて本部との連絡が途切れ、作業の指示や許可が取れなくなったから?
⑥以前に爆弾解除に失敗したことを思い出し、手の震えが止まらなくなったから?
⑦見たこともない仕組みだったため、解除方法の正解、答えを知らなかったから?

など、、。


ぼんやりとでも想像していただいたら、次は、上記の時限爆弾解除時の思考、行動が

→日常のネガティブイベントに直面したときのあなたの思考、行動だとしたら??
と考えてみてほしいのです。




例えば《スパイの任務》→《日常のネガティブイベントの渦中にいるあなた。それをなんとかしたいと思っているあなた。》として、

時限爆弾の解除が思うように進まなかった理由の

⑦見たこともない仕組みだったため、解除方法の正解、答えを知らなかった

を現実物語に書き換えてみたいと思います。


★下記は
スパイが、その時その時に応じて、目の前の問題解決に取り組むあなた自身であり、
人質とは、あなたが守りたいものであり、
時限爆弾とは、あなたの焦りや、不安であり、
敵の足音とは、あなたのこれから起こる未来への恐れ。
として読んでいただいたら分かりやすいかもしれません。
↓↓

『あなたは会社勤めをしています。
会社では、仕事の能力の高さとポジションから、周りからも一目置かれています。(★スパイ)
そんな中、海外から帰国したある人物があなたの会社に入社してきました。
この人物、育った環境からか?纏う空気感も独特で、考えや行動が読めません。
しかし、あなたはこの人物を変わった奴だと思う程度で特に気にも止めてはいませんでした。
ところがこの人物、あなたのプロジェクトについて予算を出してもらえるかどうかの決議がかかっている重要会議で思いもよらぬ質問をぶつけてきたのです。
これを受けたあなたは珍しく明快な答えを返すことができませんでした。(★時限爆弾)
それは、あなたが万全に用意していたはずの内容には含まれない質問だったからです。
そんな思いもよらぬ展開から、、プロジェクトに対する予算についても一旦据え置きとなってしまいました。
さらに、その会議の後で、あなたは、最も信頼している部下2人が、廊下でその海外から帰国した人物について褒めているのを聞きました。
あなたは、そのとき、なんだかわけのわからない気分の悪さに包まれました(★敵の足音)
あなたのことをよくも知りもしない人物に、今まで築きあげた地位を揺らされるわけにはいきません(★人質)
努力を重ねた時間が今の結果なのですから。
なんとしても、次のプレゼンでは、さすが!だと皆を納得させたいところです』




つまり、時限爆弾の解除が進まなかった理由が
⑦の見たこともない仕組みだったため、解除方法の正解、答えを知らなかったから?

を、現実問題で擦り合わせると、、、

正確な答えを用意できてなかった。
曖昧には返答できない。
経験したことがない範疇。
通常の規定の範囲外。
よりによって運が悪かった。
のような感じかもしれません。




今回の会議では、本来『プロジェクトの予算の決議を取ること。』が目的だったのですが、その背景には、できるならば、実力を周りに改めて認めて欲しかったり、尊敬的なものも欲しかったのではないでしょうか。

欲しいものとは、いわば執着しているモノ(人、事など)になるので、逆に言うとこれを失うということは、危機的状況であることはご理解いただけると思います。

それでいうと、守りたいもの(自分自身のプライド、価値)の損失を恐れるあまり、危機回避として、その状態を最悪回避するために、別の問題を自らが作った(無意識で願った)かもしれないと考えることができます。



上記のプレゼンで言うと、万が一、何の問題もなく、
スムーズにプレゼンが進んだにも関わらず、その内容が周りからの評価もいまいちで、プラスして上層部からもプロジェクトの決議がおりなかったら、、、。
という恐れから、自ら「会議における通常考えられる質問からは、着目点がずれている質問だったので今回は仕方がない。」ことにした。
つまり、
自分の実力、能力がない。と突きつけられる出来事が起こることを拒否した。
可能性があります。


これらから総合すると、、
日々のネガティブイベントが起こる原因は、
執着しているもの、失いたくないものに対して、
(例えば、お金。権利。誇り。尊敬。価値。など)
あなたが最も恐れる未来、事態を避けて、
突然、予測不可能な問題が起こったように認識(意識化)するために、わざわざ自らが、時限爆弾を設置しているかもしれないと言えるのではないでしょうか。


あなたが現在問題を抱えている場合、、
自分自身が
何を守りたいのか?
何に執着しているのか?
どんな未来への不安を無意識に抱えているのか?
考えてみることをおすすめいたします。


それを理解することで、現在起こっている問題の根本が見えてくる可能性があります。


もし、それに気づけたならば、頑張っているのに結果がなかなかでにくいことに対しての、努力の方向性も変わってくるかもしれません。




最後となりますが、通常は嫌な存在である時限爆弾なのですが、

なりたい未来を意識化して、そのための時限爆弾を設置し、解除に取り組むことができれば、原理でいうとネガティブイベントと逆回転になるので、自身を理想に向かって近づけることができるかもしれない『プレゼント』に変身します。

チャンピオンベルト

最近、ボクシングに関係する映画を観る機会が多かったので、感動ついでに、
自分がその映画に登場する世界チャンピオンとチャンピオンに挑戦する人物になりきって、どんな相手(敵)と試合するのが、最も恐れがあるか?不安があるか?嫌か?について考えてみることにしました。


まずは、、自分が世界チャンピオンという立場であった場合、、、

試合中、多くの観客が見守るリング上で闘うとして、嫌?な相手は、



『何をしてくるか全く予測がつかない相手』
(チャンピオンなのに冷静に対応できなかったらカッコ悪いから)

『パンチ力がありダウンを奪われそうな相手』
(チャンピオンなのにダウンさせられたらカッコ悪いから)

『勝ってもカッコよく勝たせてくれなさそうな相手』
(チャンピオンなのに必死のパッチはカッコ悪いから)

『ギリギリの判定にまで持ち込まれそうな相手』
(チャンピオンなのにその程度の実力と思われることがカッコ悪いから)

『自分の苦手なことが得意な相手』
(チャンピオンなのに、相手の方が上の部分があることがカッコ悪いから)

こんな感じのことが思い浮かびました。

もし、私が世界チャンピオンの立場なら、
とにかく、、勝てるかどうかというよりも先に、
自分がカッコ悪い姿を周りに晒すのが、
とにかく、とにかく、とにかく嫌!
カッコ悪いのが嫌!
という思いが先にくるような気がします。

闘う中で、
観客(応援席)からの、価値が下がることを恐れているのかもしれません。

もしかすると、優位に試合を進めていても挑戦者のパンチが数発当たっただけで(カッコ悪い自分への)焦りから冷静さを失ったり、余計な考えが頭を巡るかもしれません。



さて、、、逆に、もし自分が、世界ベルトを手にするため、チャンピオンに挑戦する立場だった場合は、、どうでしょうか?

チャンピオンと対戦が叶うまでの、費やした時間や努力や想いが頭を巡るとは思いますが、そこに恐れはないのではないかと思うのです。

なぜ恐れがないのか?

『常にチャンピオン優位で試合が進んでも関係ない』
(プロセスが散々でもチャンピオン相手に逆転勝利したらカッコいいから)

『ダウンを何度奪われても関係ない』
(何度でも立ち上がる姿がカッコいいから)

『全然良いところを見せられない試合でも関係ない』
(チャンピオンベルトを手にするために必死のパッチの姿がカッコいいから)

『判定にまでもつれるような試合でも関係ない』
(チャンピオンを追いつめたことがカッコいいから)

『例えば。。。自分の苦手な接近戦で足を止めて打ち合う展開が予測されたり、その場合、完璧に不利でも関係ない』
(敢えてチャンピオンの得意とする土俵に上って堂々と闘おうとしていることがカッコいいから)



挑戦者側に、世界チャンピオンは自分よりも数段格上。それでもチャンピオンベルトを手にするために、リスクを背負って闘いに挑む自分。という前提があれば、チャンピオンに挑戦するだけでカッコいいし、、どんな試合内容でもカッコいいし、例え負けても闘ったことがカッコいいし、それでもまた諦めずに挑戦するなら、さらにカッコいい!!
という上記のストーリーが成り立たないでしょうか??



ただし、万が一なのですが、、この挑戦者が
『チャンピオンと互角に渡り合える実力をもっている自分』
という前提を持っている場合は、
チャンピオン優位で試合が進むと焦ったり、観客席の応援がチャンピオンのほうが多いだけでイライラするかもしれないし、、
さらに、クールにカッコよく当たり前かのように勝ちたいし、負けたら生涯思い出したくもないくらいカッコ悪い気分にもなってしまうかもしれないのです。。。。



つまり、
同じ挑戦者の立場でも、セルフイメージと、世間からの評価(前提)が異なることにより、
同じイベントでも、全く意味の異なるイベントとして起こるし、そのように記憶される。と言えるのではないでしょうか。



ここまで読んで、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、自分自身が無意識に持っている前提に気づき、それを変更することで、日常の恋愛や、仕事や、人間関係を楽にできたり、カッコよく生きられる可能性があります。

もしも、現在、○○したいけど身動きが取れない。
○○することに、二の足を踏んでいる。などの状況に陥っている場合、

もしも、○○することでカッコ悪くなる可能性があるため身動き取れない。の、
なぜ、カッコ悪くなると思うのか?という自分自身を縛っている前提が何かを考えてみるのもよいかもしれません。

一般常識を超える!

私の住んでいる近くに大きな病院が建設されることが決まってから、その病院を巡ってあらゆる環境の変化が起こっています。

駅のロータリーが、格段に広くなったり、駅前の駐車場を潰してマンションの建設が始まったり、道路幅もも大きく広がったり、、、。

個人的に度肝を抜かれたのが、あるドラッグストアAさんなのですが、
その病院のおおよそ半径2キロメートル範囲内に、なんと5つも!新店舗をオープンさせたのです。

一瞬なんのために??と思ったりしましたが、
ある情報通から、
「病院に入院するとなると、ドラッグストアが必須。近くにあれば、必ず寄るし、買うものを忘れたら、何度も寄るでしょ?
おむつ、下着、歯磨きセット等、、それから、処方箋持ってくることもあるかも、、」
と教えてもらいました。

確かに、我が家も今は亡き父の入院時は毎回ドラッグストアを駆け廻ったものでした。

その話からすると、病院の周りには比較的大きな道路がおおよそ3本通っているのですが、どの方向から病院に向かったとしても、どこかには寄れるようにと店舗を構えたのかもしれません。


上記、病院とドラッグストアの関係性が業界では常識だとすると、いくつかのドラッグストアさんも、病院の建設予定地に近い場所に店舗を構える価値があるか?などを天秤にかけて検討しはじめていた可能性もあります。

しかし、この上記のドラッグストアAさんが、病院の建設が決まった瞬間、あっという間に5店舗も半径2キロメール範囲内に店舗を構えた後では、為す術もなかったのかもしれません。


このドラッグストアAさんの責任者は、いつから?何年前から?この計画を想定し、企画し、水面下で進めていたのでしょうか?

現在、ドラッグストアAさんは、5店舗とも営業中ですが、今はまだ病院が建設途中なこともあり、お客様はまばら状態です。

未来に期待して。とはいえ今は我慢の時なのかもしれません。


病院完成後の街の変化が、非常に楽しみな私であります。

カシミヤ100%

セレクトショップの店内をぷらぷらしていると、
同じデザイン、同じ色味のコートが、こちら側とあちら側に置いてあるのを見つけて
『あれ?』と立ち止まったら
私の友人でもある店長さんが、
『あちらは通常仕立て。
こちら側のはカシミア。ふふふ。』
と教えてくれました。
『おー!カシミア!ふふふ。』となり、
許可を得てそのカシミアコートを触ってみましたが、軽さ具合や、手触りがそれはもう格段に違いました。

『本物は体感。』
など、勝手にカシミアコートのCMナレーションを妄想し、店長さんと二人で盛り上がってしまいましたが、
冗談はさておき、
現実でも、この『本物は体感。』を実感することってないでしょうか?

例えば、
同じスポーツをしている天才?二人がいるとします。
一人は天才で、一人はすごい天才だったとき、
二人とも素晴らしいのですが、すごい天才というのは、
近くで一緒にプレーした人だけが感じるちょっとした安心感の違いであったり、テレビなどのツールを通してではなく、実際目の前でプレーしているところを見た人だけが感じる、感動の違いであったり、あるいは、その道のプロであれば気づく、ミクロの動きの違いであったり、、、
まさに理屈を超えた体感。感動。
それこそが本物ではないかと思うのです。

『すごい天才』は、『天才』と、たった半紙1枚ぶんの差のように思うのですが、
このたった半紙1枚ぶんの違いを、

『凡人』は、軽く考え、
『天才』は、重く、深く、とてつもない距離として考えて、努力し続けるからこそ、すごい天才に近づけるのだという気がします。


並んでいたら全く同じに見える品物。

カシミア版のお値段はちょうど倍!
それに対して、触った感触(体感、感動)は
『気持ち良さ100倍!』でした。


私自身、ぜひカシミア100%を目指し精進したいと思います。

自分自身の価値

自分が何について価値を感じるか?にも繋がるのですが、これは、例えばあなたが何かの購入を決めるとき、なぜそれを購入しようと思ったか?
もしくは、現在迷っているならその理由はなにか?(その商品のどこかに気になる部分があるのか?それとも、足りない部分があるのか?それとも過剰な部分があるのか?それとも、他の商品と比べて迷っているのか?また、他の商品と比べての場合はその比較する商品との違いは何か?)
結局のところ、買った決めては何だったか?
などについて、
その商品の特徴や自分の感情にフォーカスして、よくよく繊細に観察してみたことはあるでしょうか?

実は、この購入に至るまでの発生している感情はあなたに対して、誰かが抱いている感情(印象)である可能性が高いのです。


逆にこれが欲しい!というものが今は特になく、
あれは苦手。これが苦手。などが簡単に思い浮かぶ方は、それがなぜ苦手なのか?
どうだったら、苦手じゃないのか?
似たようなものなのに、こちらは良くて、あちらはダメ。の場合はなぜあちらがダメなのか?
を、掘り下げてみると面白いかもしれません。

もしかしたら、こうだったらいいのに。こうだったら好きかもしれないのに。と思った理由は、
誰かがあなたに対して感じていることかもしれないとしたら?
仕事の上司や後輩があなたに望んでいるとしたら?
好きな人がこうであればあなたを手放したくないと思っているかもしれないとしたら?

そう考えてみることをおすすめします。



また、自分自身を掘り下げることができたなら、


①あなたの価値や魅力を産み出しているものは何か?(お金、筆記用具、PC、スマホ、本、映画、習い事など)

②あなたの価値や魅力とは?(経験、信用、能力、才能、情報、知識、身体など)

③あなたの価値や魅力を向上させたり、継続させていくために必要なものは何か?(過去からの努力、プロセス、ブランド力、癒し、カッコよさ、余裕、強さ、ゆったりなど)

④価値や魅力を使ってどう戦うか?(仕事、恋愛、人間関係などの対話、アピールの仕方など)

について、考えてみることで現在の自分がどこを強化するべきか?が見えてくるかもしれません。


あなたに、もし、現在、うまくいってない問題が起こっているのならば、上記の①から④を、じっくり見直してみるとよいかもしれない。とも言えます。


上記の①から④を分かりやすく、ある会社組織で表すと下記のようになります。

例 企業A

①企画、開発(価値を産み出すもの)
②製造(この企業Aの生命線)
③宣伝、総務(企業を存続させるためのもの)
④営業(アピール)

そして、もし、この会社が最近、
売り上げが芳しくない。
という実情を抱えているとすると、、
①から④のどこかで、もしくは、すべての箇所で何かしらの問題があるかもしれないので、それぞれをよくよく見直してみる。
と考えたらよいということになります。



最後となりますが、
あなたの個人的な仕組みと
あなたの所属(関連)している仕組みとを、
擦り合わせできるならば、さらにさらに自分を深く掘り下げることが可能です。

答え 2

前回のお芝居についての続きとなります。

周りが大絶賛している中、私の満足感を十分には埋められなかった理由を、個人的見解から、さらに分析してみました。


まず、このお芝居、なぜ行ってみようかという気になったのかというと、役者さんや、監督や、脚本の「社会的地位が高かったから。」(ブランド力が大きかった)なのですが、

そんな場合は、、やはり周りに自慢したくなるのが人間ではありませんか?笑

しかし、様々な事情から、公演を見に行く。ということをあまり公にしないほうがよかったため、私は、周りにこのお芝居のことは一切伝えてなく、そのため、何かの拍子に話題がでても、その話題に乗っかることができませんでした。

もしも、周りにお芝居の話ができる環境で、
「いいなー!」「私も見たいー!」などのリアクションが返ってきていた場合は、
チケットを必死で予約し、時間の確保のための余分な仕事の労力分は、清算できていたような気がします。


次に、素晴らしいお芝居だったことは周りの反応で分かるのですが、レベルの違いをよくわからない私自身の問題で、あまり心に刺さらなかったのです。

では、どうだったら刺さったのか?
ということなのですが、
これは、私自身が重きを置いているもの(重要度の高いもの。)に対して、そのお芝居で触れていることと、その触れられた内容で気分が上がるようなもの。
ではないかと思っています。


あの日、足を運んでいた方たち全員の、重きを置いているもので、そこをお芝居で触れられたら、その内容で気分があがるようなもの。
というのは、非常に難しい気がします。
しかし、大多数の方のそれを満たしている作品などが、世に言うヒット作。となるのではないでしょうか。



上記を、違うもので例えると
あなたはガラス食器集めが趣味だったとします。
あなたは、今日もお気に入りのお店に、食器を物色しにいきました。
一段高いところに、有名高級ブランドのガラス食器セットが置いてあり、それを手にとって眺めていると、店員さんに「お客様お目が高い。限定商品で当店に入ってきたのは1セットのみとなっております。」
など、話しかけてこられました。
なるほど。さすがに素晴らしいデザインで、惚れ惚れしてしまいます。
しかし、あなたは、少し高額だったこともあり、今回は見送ろうと思っていたところ、
横から「あ!あれ私が欲しかった限定セットよ!入荷してきたのね!○○さんも欲しいけど、手にはいらないとおっしゃってたのよ。あの方が買わないのなら、私、買うわ!」と、奥様二人組がそのガラス食器を見つけ、後ろで話しているのを聞いてしまいました。

そして、あなたの手に取っているものを羨ましそうに見つめています。

さて、、あなたは、このガラス食器を諦めるでしょうか?
買ってしまうでしょうか?



ちなみに、あなたの生活、人生の中で、ガラス食器の重要度が低い場合は、いくら店員さんに高級ブランドの貴重な限定セットだと説明を受けても、うしろの奥様方に羨ましがられても、購入に至らないのではないでしょうか?


逆に、ガラス食器に限らず、あなたが生活や人生の中で、重要度を高く見積もっているものならば、社会的ブランドも、周りの声も、関係なく、買わずにはいられないものなのかもしれません。
また、購入後に、社会的ブランドや、周りからの声が高くなった場合は、さらにさらにそれについて追及してしまいたくなるのかもしれません。



今回のお芝居は、私にとって、個人的価値。の部分で引っ掛からなかったこと。
通常、周りからの価値で補えた部分も、その機会がなかったこと。

これが、なんだか、モヤモヤした感想の結果。
だったのかもしれない。と思っています。

答え

少し前に、東京で人気役者と、実力派女優共演の珍しい舞台があり見に行ってきました。
私は元来、お芝居にあまり興味がないのですが、人気絶頂の役者さんということや、脚本家や監督も総出で話題になっていたことから乗り気になったのです。

この公演チケット、人気だったこともあり、20000円弱。席の確保にも一苦労。
また、個人的な事情ですが、交通費や宿泊費が余分にかかり、さらに仕事でタイトなスケジュールがつづいていたため、なんとかかんとか時間の捻出をし、くたくたの状態でお芝居当日を迎えました。


さて、この舞台。
公演後の周りの方たちの「よかったわぁー。」
「やっぱりお上手ねー。」
など、絶賛している声や、満足そうな顔から想像するに、全てにおいて(役者さん、演出、音響、技術等)通常よりも、相当レベルが高かったのは間違いないようでした。


しかしながら、、私の感想は正直なところ、
「まぁ、、悪くはないけど。。。」
というような曖昧なものに留まっていました。

なぜ、周りの評価が高いお芝居に対して、
私だけこのような感想になってしまっているのかというと、
私はこの舞台のために、チケット代と交通費と宿泊費を併せた数万円と、時間の捻出のための労力を支払っているためで、それが、対価的に釣り合わなかったから。
だと自分なりに分析しました。

では、その支払った対価が、どんなお芝居、演出ならば釣り合ったのか?
と考えてみたのですが、、

私は、
元々お芝居に興味があったわけではないので、
「誰よりも上手い演技やレベルの高い演出」
を求めていたわけではなく、
その人気絶頂の役者さんに
「そこでしか見られないもの。他では体験できないもの。」
これを、数万円と、時間と、労力を、支払って(勝手に)期待していたのかもしれません。


そして、上記の「そこでしか見られないもの。他では体験できないもの。」
とは、
私はこれこれこういうものを求めているのです!
といったような自分自身で明確に認識できているものではなく、
それを見たり、聞いたり、体験することにより
(あぁ、私が求めていた答えはこれだ。。。)
と発見?気づかせてくれる?ようなものではなかったのかな?と思ったりしています。


つまり、私は、他では体験できない満足感を提供してくれるならば、それに比例して、高いリスクを背負い、代償を支払うことも厭わない。
ということになるのではないでしょうか。


これを、逆に、私の対人関係、仕事に置き換えて考えてみると、相手にこの満足感を提供できれば、良い関係を作ることができるのかもしれません。



ところで、この他では体験できない満足感(自分でも気づかずにずっと求めていた答えの提供)ですが、
人によっても違うでしょうし、もし、目の前の誰かの満足感を満たすためには私は何を基準に考えたらよいのでしょうか?



目の前の誰かが求めている答え。
これは、私自身がずっと求めていた答え。
なのかもしれません。


つまり、
私が誰かに求めている言葉(求めている行動)
これが、目の前の誰かが、私に求めている言葉(求めている行動)
ではないでしょうか、、、。