mahoutukaikunのブログ

対話、コミュニケーション、思考について研究中のみかんです。研究のきっかけとなったカルマの法則やカルマタロットの紹介もさせていただいています。 何気ないある日だったり、感じたことだったりを、気ままに更新できたらと思っています。 日常の呟きの中で、少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

次がある?

父の死で、、当たり前に「次」があると思っていた自分の甘さを再認識しました。

毎日のサイクルの中で、、

今、あるものが明日には無くなるかもしれなく、

今日の状態は、明日には変化しているかもしれなく、

今日、開いた扉は(チャンスは)、扉さえ見つけられないかもしれない、、、


こんなことが、当たり前に起こり得る可能性を、
どこか、他人事のように、、考えていたように思います。


もしも、、あのとき、あの時間が、父との最後の会話だと分かっていれば、、、
もしも、、、父と過ごせるのが、もう何日もないことを分かっていれば、、
もしも、、父がもう2度と生きて家に帰ってこれないことが分かっていれば、、、



家族も、、友人も、、
そんな風に、考えたかもしれないし、、
今、まだ、、考え続けているかもしれません。



しかし、、現実は、、
明日のことは、誰にも分からないし、
どうやっても、時間を巻き戻すことはできません。


それならば、
「こんなことならば、、、、ああしていれば、、こうしていれば、、、」
と自分自身に、言い訳しなくていいように、
毎日、毎時間、一瞬一瞬を
後悔しない選択をするしかないと思うのです。


私の父は、持病の肝臓病に、さらに難病などを抱え、長い間闘病生活をしていて、入退院は繰り返していましたが、驚くような生命力で、しんどさを周りに感じさせることなく、通常生活を送っていました。


私自身、数年前から、覚悟はしていたつもりとはいえ、最後の緊急入院時も、、またきっといつものように、回復して戻ってくると信じていたのです。

しかし、、、そろそろ退院と喜んでいた矢先、父は、何が起こったのか、、、気づいたときには、病院で散歩中に、座って休憩していたであろう椅子で、すでに心肺停止状態だったと聞きました。

病院から連絡をもらったときには、すでに心肺停止状態だったため、、、
家族の誰も父の最後に立ち会うことができませんでした。

後から発見されたときの時間を聞くと、、その日の昼すぎ、操作していたスマホが、突如、画面が真っ黒になって全く機能しなくなり、再起動を3回かけた時があったのですが、、おそらくその時間帯だったのではないかと思っています。

どんなに覚悟をしていたつもりでも、、父の葬儀で最後の最後、、、棺桶のふたをする時に、、これが、形ある父との最後の対面なんだと事実を突き付けられた気がしました。

形あるものに拘るべきではありませんよ。形はなくともいつもあなた方のことをお父様は見守っているのですから。という、お坊さんの説法を何度聞いても、
、いつものように父を呼びかけ、「んー?」と返事を返してもらえたら、、と、繰り返し、繰り返し、繰り返し願わずにはいられませんでした。


世界的に有名な本、
星の王子さまの冒頭でも、、
「大切なものは目に見えない」
とあります。。

私自身、、そういう繊細な部分こそを大事にしてきたつもりでいましたが、、
それでも、人間は、、
目に見えるものも、求めてしまうものなんだと、、身をもって、家族の死という出来事から体験させられました。



だからこそ、、
一瞬、一瞬を、後悔しないように大事にしながら、
言葉で、行動で、大事な人達に伝えていけたらと思うのです。



そして、、
これを読んでくれているあなたにとって、後悔しない生き方のお手伝いができますように、、

と願います。